仕事から選ばれる自分

みのもんたと英会話を語る

1944年、東京都生まれ

ただの職業だ

このモチベーションだろうね

失敗を何度も繰り返してきた

そう、楽しいという気持ちが根底にあるから、好きになっても嫌いになってもその人と一緒にいようとする

小さな失敗、大きな敗北につながりかねない小さな失敗を見失いがちになり、大きな軌道修正を強いられることになりかねない

還暦まではぐちゃぐちゃいわず、ただ一生懸命やればいい

渡された茶封筒など…あまり言いたくありませんが

心である

仕事から選ばれる自分

リスニング力を強化する

淘汰される

そういう人は、たとえ英語が話せなくても、たとえアメリカにいて言葉が通じなかったとしても、「この人のためならなんでもしてあげよう」という気にアメリカ人をさせる

学業も、もちろんこれは自分ひとりでするものだけれども、生きることは一人ではできない

「この人、もしかして自分のことを好きなのでは?」と

さんざんあります

心の中にかっことした大志があるからだ

逆を言えば、本気じゃないものを会話しても外国人の心はつかめない

相手の口だけの内容のない説教は何も聴かない

そして見せしめが行われる

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仕事から選ばれる自分。休みは取りたくない。昭和の発想といえばそれまでかもしれないが馬鹿にするわけにはいかない。どれだけ陳腐な発想であったとしても、それで誰よりも結果を出しているのであれば、その発想は素晴らしい発想としてピックアップされるに決まっているのだから。

結局のところ、どういう選択肢をとろうが、結果が全てである。結果がよければ、その選択肢は光り輝く。どんな悪い選択肢であっても、結果が素晴らしければ、選択肢として優秀であると思われる。

結果でしか判断しないところが人間の浅はかなところであるが、それはそれで仕方がないだろう。人間社会に生きているのだから。休みを取ると、いざというときに存在感を出せなかったりという問題もある。


ただ、その課題は「スグに頭に思い浮かぶ人になる」という課題を克服すれば解決できる問題なのだが…

人はスグに頭に思い浮かぶ人に仕事を頼むからだ。一匹狼、個人事業主であればあるほど、スグに仕事をもらえる立場にあるのは当然である。だからこそ、休みをとらない、という考え方は一理ある。

ただ、その課題は「スグに頭に思い浮かぶ人になる」という課題を克服すれば解決できる問題なのだが…。この問題は意外と簡単に解決できて、解決できる人が優雅な余暇時間を使っている。

ただここでも優雅な余暇時間が人生の時間として最適化どうかは別問題だから注意だ。裕福で、それこそ毎日リッツカールトンホテルで豪華な食事をする。これはいいことだろうか、人生として。

一見よさそうだ。しかしそのために食事のとりすぎで大病を犯すこともある。誰よりも早死にするかも。それは人生としてよいものか分からない。クリスマスを、海外でパーティで過ごすのもどうか。

パーティみたいな豪華でなくても、親や友人やあるいは恋人と、質素であるけれども笑いがあふれる。そういう時間とどちらの時間が自分にとって楽しいだろうか。


これみな同じことだ

人によって結果の受け取り方は違うわけで、よってその結果によって、選択肢もまた異なってきて当然である。仕事が仕事を呼ぶ。学習が学習を呼ぶ。勉強が勉強を呼ぶ。

これみな同じことだ。例えば英会話を学ぶとする。そうすればスピーキング力が足らない。スピーキングの勉強をする。リスニング力が足らないことが分かる。

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